病院輸送船
南北戦争時代の病院船による負傷兵の輸送と治療の記録
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第1章: ダニエル・ウェブスター号

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4月30日
チーズマンズ・クリークにて、ミーグス将軍の命令を受け取り、ダニエル・ウェブスター号を病院船として使用することになりました。

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5月3日
船内の設備を整え、190人の患者を乗船させました。患者たちは16マイルもの道のりを救急車で運ばれてきたそうです。

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5月4日
ヨークタウンが避難されたとの知らせを受けました。私たちにとっては、ビーフティーを適切なタイミングで用意できるかどうかが重要でした。
船内の様子
設備
船尾には30人用の客室があり、その下には古い客船のサロンがありました。エンジンルームの前方には大きな船倉があり、兵士を運ぶための棚が15フィートの深さまで設置されていました。
乗船者
医学生6名、看護師20名(全員ボランティア)、外科医4名、女性4名、黒人労働者12名、大工3名、その他の乗客6名ほどが乗船していました。衛生委員会のメンバー5名、フィラデルフィアの関係者1名、軍人8名、回復中の兵士90名、輸送部隊の整備士、少数の乗組員と士官も同乗していました。
船内の改装作業

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清掃
船内を徹底的に掃除し、船倉を漂白しました。

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換気
エンジンルーム区画の仕切りを取り払い、船首から船尾まで風通しを良くしました。

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ベッドの設置
新しいベッドを取り付け、整備しました。

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薬局の設置
薬局を新設し、必要な設備を整えました。
チーズマンズ・クリークでの活動
医療ディレクターへの報告
到着後、医療ディレクターに報告するため上陸しました。
ニューヨーク義勇軍連隊との遭遇
ダニエル・ウェブスター2号に乗船していたニューヨーク義勇軍連隊の大佐に、妻が看護師として同行していることを伝えました。
寄付の受け取り
大佐から委員会への感謝の印として1,000ドルの小切手を受け取りました。
上陸後の様子
野営地の様子
大きな草地には様々な部署のテントが立ち並び、兵士たちが忙しく動き回っていました。
沼地の森
木々が倒れる音と兵士たちの叫び声が響き、丸太道路の建設が進められていました。
輸送の困難
6頭のラバに引かれた軍用馬車が、軽い荷物でも激しく揺れながら進んでいました。道路は使い物にならず、馬でさえ渡るのが困難でした。
ヨーク川流域の光景
景観
イーグルズウッドやその対岸にあるラリタン川流域に似た景色でしたが、木々は少なく、松が多く、より変化に富んでいました。川幅は1.5マイルほどあり、ラリタン川よりもずっと広く感じられました。
野営地
川に向かってゆるやかに傾斜した平坦な土地に、数百エーカーの広さの野営地が広がっていました。2万から4万人の兵士が収容できる規模で、シェルターテントが立ち並び、活気に満ちていました。
司令部到着

司令部の様子
野営地の中央に、20頭以上の馬をつなぐための長い棚が設置されていました。これが司令部であることを示す唯一の目印でした。

敵の接近
医療ディレクターのテントに到着すると、大きな砲撃音が聞こえました。敵が射程圏内にいることを知らされ、驚きました。
医療体制の課題

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不十分な医療体制
政府の医療体制は深刻な不足状態にありました。

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衛生委員会の役割
衛生委員会が政府以上の医療物資を日々配布していました。

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支援の必要性
衛生委員会の活動を支える資金と物資の継続的な供給が不可欠でした。
5月1日の活動
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エリザベス号の到着
物資を積んだエリザベス号が到着し、荷下ろしを行いました。
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ウィルソン・スモール号の活動
小型の病院船として、浅瀬を航行して負傷兵を収容し、大型輸送船に移送する任務を担っていました。
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陸上の倉庫
十分な物資を備えた倉庫が岸に設置されていました。
シッピング・ポイントの病院
施設の状況
放棄された反乱軍の宿舎が病院として使用されていました。丸太で立派に建てられていましたが、低く不衛生な地面に建っていました。
環境の問題
土塁に囲まれ、半分の時間は雨に打たれ、残りの時間は強い日差しにさらされていました。常に有毒な蒸気が発生し、多くの兵士の命を奪う場所となっていました。
シッピング・ポイント病院への支援
オレンジ
患者に栄養を補給するためのオレンジを提供しました。
お茶
患者の水分補給と安らぎのためにお茶を用意しました。
レモン
ビタミンCの補給とさっぱりとした味わいのためにレモンを提供しました。
ワイン
患者の気分転換と栄養補給のためにワインを用意しました。
病院訪問の準備

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許可の取得
病院側に女性たちの訪問が歓迎されるか確認しました。

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物資の準備
精神ランプ、ファリナ、レモン、ブランデー、清潔な衣類を用意しました。

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目的の説明
患者たちと会話をし、慰問することが目的だと伝えました。
追加の物資調達
フォートモンローへの発注
特別な物資をフォートモンローに発注しました。
トリプラー博士の訪問
トリプラー博士が訪れ、一緒に食事をしました。
外科医への支援
7マイル離れた沼地を越えてきた外科医に、ワイン、お茶、パンを提供しました。
ウィルソン・スモール号の活動

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患者の受け入れ
日没までに35人の患者を乗船させ、慎重にハッチを通して船内に移動させました。

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患者のケア
30分以内に全員に食事と飲み物を提供し、清潔な寝具で休ませました。

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翌朝の状況
翌日(5月3日)には全員の容態が改善していました。
シッピング・ポイント病院での活動
物資の配布
当社の外科医と看護師が毎日陸上に赴き、物資を配布しました。
患者のケア
病院にいる貧しい兵士たちのために、できる限りのことをしました。彼らはあらゆるものが不足している状態でした。
看護師たちの勤務体制

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3交代制
看護師たちは3交代制で勤務しています。

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夜間勤務
夜8時以降は、必要に応じて追加の勤務があります。

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柔軟な対応
状況に応じて、勤務体制を調整しています。
日曜日の勤務例

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朝食の準備(7時〜12時)
パントリーで温かい朝食を用意し、各病棟の食事数を確認して配膳しました。

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礼拝(12時頃)
前方の重症病棟で、海上にいる人々と病人のための簡単な祈りを捧げました。

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午後の勤務(12時〜16時)
清潔な衣類や必需品を配布し、昼食の準備と配膳を行いました。

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夕方以降
夕食の準備と配膳、夜間用のビーフティーとパンチの準備を行いました。
オーシャン・クイーン号の状況

座礁
5月5日、オールドポイントから上ってきたオーシャン・クイーン号が、港から約5マイル離れた場所で座礁しました。

支援
数台のベッドと数人の男性を乗せて支援に向かいました。

船の状態
メリマック号を欺くために使用する予定だったため、小さな乗組員の生存に必要な最低限の装備しかありませんでした。
軍艦隊の夜の光景
集結する船団
夜8時、これまで港に散らばっていた300隻以上の蒸気船が集結し、蒸気を上げていました。
印象的な光景
大型蒸気船が、4分の1マイルもの長さの曳航列を従えて通過していく様子は、暗い夜に光と生命の長い列を作り出していました。
静寂へ
これらの浮かぶ都市が徐々に消えていく様子は奇妙でした。船の舷側の色とりどりの灯りが一つずつ消え、バンドやラッパの音が遠ざかっていきました。
ウェブスター号の出航と新たな任務

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ウェブスター号の出航
ウェブスター号を出航させました。

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スモール号での出発
数人のスタッフと共にスモール号に乗り込み、電報と郵便を受け取りに向かいました。

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埋葬の任務
夜中に亡くなった患者の遺体を埋葬するため、雨の中を出発しました。
ヨークタウンへの航海
オーシャン・クイーン号との合流
港を出るとオーシャン・クイーン号が航行中であることに気づきました。港湾管理官の命令でヨークタウンに向かっていたのです。
壮大な航海
スモール号が先導する中、ヨークタウンへの素晴らしい航海が始まりました。川には300隻もの輸送船が浮かび、まるでテムズ川を上るようでした。
ヨークタウン到着

艦隊の中を進む
病院旗を掲げ、300隻の輸送船隊と十数隻の軍艦の間をゆっくりと、しかし大胆に進みました。

最前線に停泊
最大の船として、最前線に停泊しました。私たちの上にはピケットとして1隻の砲艦だけがいました。

上陸と状況確認
船長と若い男性たちと共に上陸しましたが、電信所も参謀本部の将校も見つかりませんでした。
予期せぬ事態
地雷の危険
反乱軍が仕掛けた地雷で多くの兵士が死傷したため、ヨークタウンの要塞線内に入ることは許可されませんでした。
負傷兵の到着
船に戻ると、2隻の小型蒸気船がオーシャン・クイーン号の両側に接岸し、病人を乗せようとしていました。
緊急の対応
これらの病人は、ウィリアムズバーグの戦闘に向かった連隊の病人で、適切な設備のない状態でオーシャン・クイーン号に移送されようとしていました。
病人の状況
深刻な状態
多くの病人が重症で、中には瀕死の状態の者もいました。主にチフス熱の患者で、24時間以上食事を取っておらず、雨に濡れ、悪路での移動で疲弊していました。
設備の不足
オーシャン・クイーン号には適切なベッド、寝具、食料、医師もいない状態でした。多くの患者が適切な医療、栄養、暖かさを得られなければ命を落とす危険がありました。
緊急対応
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乗船阻止
船の将校に、私が戻るまで誰も乗船させないよう指示しました。
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医師の探索
陸に戻り、協力してくれる民間の医師を見つけました。
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状況の悪化
船に戻ると、一等航海士が命令に従わず、歩ける患者全員が乗船していました。
女性たちの活躍
食事の提供
船底から見つけたトウモロコシの粉でホットグリュエルを作り、病人たちに配っていました。
患者のケア
弱り切った患者たちは床に横たわり、感謝の言葉を口にしていました。
チームワーク
乗組員や給仕たちに40ドルを分配し、協力を得て患者の移送を行いました。
支援の到着

エリザベス号の到着
B氏とウェア博士が、エリザベス号で到着しました。彼らは緊急事態に対応する最適な人材でした。

物資の補充
エリザベス号には藁、ベッド袋、毛布、刺激剤、薬があり、船長の権限で全ての船員が作業に加わりました。

食料の調達
B氏は陸に上がり、反乱軍の牛を見つけて射殺し、牛肉を持ち帰りました。
患者のケア
22:30
夜間の活動
夜10時半までに、全ての病人が暖かいベッドで休み、医療処置を受けました。
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死亡者
残念ながら、3人の患者に対しては祈ることしかできませんでした。
フォートモンローへの航海

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出発
追加の物資を調達するため、スモール号でフォートモンローに向かいました。

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到着
朝9時頃にオールドポイントに到着し、ホテルで朝食を取りました。

3

緊急事態
司令部の電信室で、メリマック号が出撃するという緊急メッセージを受け取りました。
フォートモンローでの緊急事態

警報
砲撃音が鳴り、長い警報音が鳴り響きました。

軍の動き
歩兵が整列し、砲兵が急いで城壁に向かい、重砲を配置しました。火薬車が坂を上って移動していました。

メリマック号の動向
メリマック号はシーウォールズポイントを越えては来ませんでした。
医療スタッフの増強
6
ニューヨークの外科医
ボルチモアからの船で、優秀なニューヨークの外科医6名が到着しました。
26
看護師
26名の看護師が新たに加わりました。
10
外科助手
10名の外科助手(医学生)も到着しました。
ヨークタウンへの帰還
物資の調達
重要な物資を限られた量ですが確保することができました。
スモール号での出発
正午にスモール号でヨークタウンに向けて出発しました。
到着後の状況
到着すると、小型蒸気船が再びオーシャン・クイーン号の横に接岸し、300人以上の患者が乗船していました。
患者の状態
重症患者
多くの患者が非常に重症で、一部は錯乱状態、一部は昏睡状態でした。
衛生状態
患者たちは恐ろしいほど不潔な状態で、軍用馬車で一日移動した後、多くは服を脱がせる時間もないまま乗船させられました。
医療の課題
後方の野営地に残された助手の外科医たちは、患者を早く送り出し、戦場での外科手術に携わりたがっていました。
病院組織の確立
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病棟の設置
船のキャビンと上部船倉を5つの病棟に分け、重症患者用としました。
2
スタッフの配置
各病棟に1名の外科医、2名の病棟長、4名の看護師を配置しました。
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第6病棟
船の残りの部分を第6病棟とし、ヘルニア、リウマチ、気管支炎、疲労困憊の患者を収容しました。
食事の提供における課題
主な課題
適切な食事を全員に提供し、きちんと調理して配膳することが最大の課題でした。
工夫
船の給仕は扱いにくく、調理器具も極端に不足していましたが、船長の協力と女性たちの工夫で、即席の調理器具を作り出し、キッチンを補強しました。
オーシャン・クイーン号の出発

ニューヨークからの支援
オーシャン・クイーン号が出発する直前に、ニューヨークから女性たちと使用人が到着しました。

人員の配置
一部をオーシャン・クイーン号に乗船させ、残りはウィルソン・スモール号に一時的な宿舎を提供しました。

ヨークタウンでの活動
オーシャン・クイーン号の出発後、衛生委員会のメンバーは陸に上がり、周辺の放棄された野営地から運ばれてくる病人たちの世話をしました。
ヨークタウンでの支援活動
テントの設置
病人たちのためにテントを設営しました。
物資の提供
委員会の補給船から数台分の病院用品を送りました。
資金援助
担当の外科医に25ドルを渡し、限られたスタッフの努力を促すために使用してもらいました。
継続的支援
さらに必要なものがあれば委員会が提供することを伝えました。
ウェストポイントへの出発
戦闘の報告
ウェストポイントで戦闘が進行中との報告を受け、小型船で向かいました。
到着時の状況(5月9日朝)
早朝に到着し、戦場全体が地図のように目の前に広がっていました。
ウェストポイントの戦場

白旗
小さな家から白旗が掲げられていましたが、前日にはその家の後ろに隠れた砲台から砲撃を受けていました。

軍の動き
岸辺には3,000〜4,000人の兵士がおり、さらに多くの兵士が到着し、ポンツーン橋を使って上陸していました。

物資の提供
委員会の監察官の要請に応じて、即席の病院に小規模な物資を送り出しました。また、砲艦の病室にも果物や氷を提供しました。
負傷兵の輸送
病人を乗せた蒸気船の到着
病人と負傷者を乗せた蒸気船が横付けしました。この船は急遽病院として使用されていましたが、ほとんど何も備えがありませんでした。
患者の移送
より危険な状態の負傷者をスモール号に移し、3人の女性と外科助手、使用人、ビーフティー、レモネード、氷、刺激剤を持って他の患者の支援に向かいました。
スモール号での患者ケア
重症患者
スモール号は危険な状態の患者を受け入れ、その中には切断手術を受けた患者も数名いました。手術は戦場で行われていました。
死亡者
1人が真夜中に亡くなりました。
規律の維持
非常に混雑した小さな船内で、個人の熱意を秩序と静けさの要求の範囲内に抑えるのに苦労しましたが、成功したと思います。
患者の回復
朝の状況
回復の見込みがある患者は全員、朝には状態が良くなっているように見えました。
感動的な瞬間
大腿部切断を受けた患者が、前日は意識がもうろうとしていましたが、朝には手を上げて微笑んでくれました。看護師に「あなたは私の命を妻のために救ってくれた」と言ったそうです。
負傷兵たちの物語
英雄的な将校
自分の中隊を率いて連隊と戦い、敵を押し戻しましたが、部下の5分の1を失い、自身も肺に銃弾を受けました。
C伍長
脚を失いましたが、自分を撃った相手に恨みはないと言っています。ただし、倒れた後に負傷した脚を蹴った卑怯者は罰したいと話しています。
5月11日の状況

死亡者
夜間に3人の負傷兵が亡くなりました。彼らには可能な限りのケアが施されました。

船内の混雑
小さな船は非常に混雑し、健康な人々は上甲板で寝ています。屋根の下はすべて負傷者で占められています。

食事の工夫
食器類が病人のために必要なため、私たちはパンの上に肉とジャガイモを載せて食べ、ストーブの上を食卓代わりにしています。